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お知らせ

<追悼の日に>

2011年08月15日 23:44

東日本大震災から5カ月が過ぎ、初めての盆がおとずれました。
いつもの年と同じように、人々の移動と各地での戦没者追悼のニュースが流れています。

人々が失われたものを思い、過去の苦しみを乗り越えて前に進もうと誓いを新たにするこの日が、今までになく重く感じられるのは、私だけではないでしょう。

この地震をきっかけにスタートしたけあぼらプロジェクトですが、被災地のケア状況が刻々と変化していることと、東北という広いエリアの多様なケアの現場に、どのように長期的なビジョンでかかわり続けられるか、という試行錯誤を続けているうちに、あっという間に5か月が経ってしまいました。

このサイトがオープンしたのは7月11日ですが、その後も、具体的な動きについてお知らせが滞ってしまった理由はいろいろありますが、その理由も含めて、今、けあぼら事務局がどのようなスタンスにあり、今後、どのような意図を持って進んでいこうとしているかを、最初の事務局からのお知らせとしてご案内いたします。


<できるだけ長く被災地のケアにかかわれるようにするにはどうしたらいい?>

あの巨大津波が海岸の町を飲み込み、原子力発電所が水素爆発を繰り返しているニュースを見ながら、私が考えていたのは、「恐ろしいほど大量のケアのニーズが発生する。しかも、このニーズはとても個別で、復旧が進むにつれてどんどん多様化する。しかもケアのニーズは長期にわたり、回復していける人と回復の道筋にのれない人の間に格差が生じ、どんどん大きくなるだろう。」ということでした。

全く予期しない中で、大切な人や財産を瞬間に奪われることの衝撃は、実際に被害を受けた人でなければ想像しにくいものですが、「被害を受けたことそのもの(体験)」を共有することは可能です。

しかし、職や財産や家族が少しでも残った方と、すべてを失った方の間では、復旧・復興にかかる時間の長さが異なりますし、今後状況が回復すれば自宅に帰れる方と、当分自宅には戻れず、あるいは住み慣れた土地を永遠に捨てて移住しなければならない人の間でも、被害からの回復のプロセスが全く違ってきます。

ニュースをみながら、これから始まる、長い長い回復のプロセスにかかわり、ケアを提供し続けることができる人が数多く求められていることを実感し、また、ケアを提供してきた一人として、私もそのプロセスにかかわりたい、というのが、「けあぼら」を発想する最初の段階でした。


<被害の当事者であるという自覚>

また、この災害の発生直後から、私たちはこの災害の当事者であるということ、当事者として、この災害にかかわらなければならない、ということを、私は強く意識していました。
この当事者性は、自国で発生した、同じシステムの上にのっている社会が引き受けた災害だからというよりも、家族を、財産を、大切なものを一気に失った人々の喪失を伝える言葉が、まさに自分が使う言葉や表現と同じだったことにより、喚起されたと思います。
誰かが何とかしてくれるわけではない、自分たちで何とかしなければならない、という、強い決意を持って、「がんばろう」という時、人は、一人ひとりとても孤独になります。
この孤独は、良い方向に向けば、回復に向けて、多様な人々が一致団結して問題解決に向かう原動力として働きます。
しかし、ひとたびバラバラな方向を向けば、被害を受けた人が互いに阻害しあい、傷つけあう暴力ともなります。

被害を受けたことによる、それまでとは違った孤独を、阻害し、傷つけあう力ではなく、問題解決に向かう力にするのに必要なのは、ケアです。
しかも、サービスとしてのケアではなく、人と人とのかかわりの根幹を支える、ケアという行為に、主体的に、当事者性を持ってかかわる人が必要だ、というのが、「けあぼら」発想の第2段階でした。


<「わからない」という前提から始める取り組み>

一瞬にして大きな被害者集団が出現したという事実と、それが他人事ではなく、自分がこれから当事者としてかかわっていく社会の姿だという2つの事実は、この災害がもたらした現場は、私たちの過去の被害者支援の知識や経験が全く応用できない、全く未知の現場となることを示していました。

全くわからないという恐れの中で、当事者として、私たちの社会のケアの力が試されている、と感じ、私が最後に確信したのは、このような場合には、ただ情報を集めれば何か先が見えてくるということはない、自分の得意、不得意、よく見えることとあまり見えないことをわきまえ、自分とは異なる視野や立場の人と連携することが、見落としのない確かな解決方法を得るためには絶対に必要だということでした。


そのためには、「ケア」というキーワードで、多様な人がつながれるようにする必要があるだろう、しかも、被災地に行く行かないにかかわらず、多くの人がかかわれる、かかわり、つながるための何かが必要だ、そしてその何かによって、大量にあふれる情報の中で、自分たちが必要とする、ケアにかかわる情報を、多様な価値観や視点を保持しながら選び、考え、行動していくことができないだろうか、という問いに対する一つの試みが、「けあぼら」という形になったのです。

8月15日 けあぼらプロジェクト代表 松原

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